
アフガニスタンの基本情報と変遷
アフガニスタンの国名の変換
アフガニスタンの正式国名は、2021年8月のタリバンによるカブール制圧以降、実効支配を行っている政権により「アフガニスタン・イスラム首長国」と称され、首都はアフガニスタン東部のカブール(カーブル)です。かつての「アフガニスタン・イスラム共和国」政府は事実上崩壊しましたが、国際連合などの国際社会では依然として旧共和国の代表権が議論の対象となっており、政治的に複雑な状況にあります。
国名の変遷を正しく整理すると、1823年にドゥラーニー朝からバラクザイ朝へ移行した後のアフガニスタン首長国(1823年〜1926年)に始まり、アマーヌッラー・ハーンによる王制への移行でアフガニスタン王国(1926年〜1973年)となりました。その後、1973年のクーデターによりアフガニスタン共和国、1978年の共産主義政権誕生でアフガニスタン民主共和国、1992年のムジャーヒディーン政権によるアフガニスタン・イスラム国(共和国ではなく「国」)と変遷しています。1996年には第一次タリバン政権のイスラム首長国が成立しましたが、2001年の崩壊後は暫定・移行期間を経て、2004年にアフガニスタン・イスラム共和国が成立しました。そして2021年8月より、再びアフガニスタン・イスラム首長国が実効支配を続けています。
人口と面積
アフガニスタンの総人口については、長年大規模な国勢調査が行われていないため、資料によって推計値に幅があります。国連人口基金(UNFPA)の2024年版報告書によれば、約4,330万人と推計されており、世界で36位前後の規模となっています。なお、2023年のCIA World Factbookなどのデータ推計に基づく人口は約4,140万人となっています。
但し、この人口推計にはイランやパキスタンを中心に国外に逃れた600~800万人の難民は含まれていないため、これらを含めるとアフガニスタンの国民としては5,100万人程度と推定されるものの、アフガニスタンの人口はイラン及びパキスタンからの強制送還と国外脱出が繰り返されており確定するのは不可能な状況です。
面積は652,225平方キロメートル(世界41位)であり、日本の約1.7倍に相当します。内陸国でありながら、その広大な国土の大部分は険しい山岳地帯によって占められています。
アフガニスタンの民族構成
民族構成はアフガニスタンにおいて最もデリケートな問題の一つであり、公的な統計が存在しないため、諸説あります。CIA World Factbookによる伝統的な推計では、パシュトゥン人(約42%)、タジク人(約27%)、ハザラ人(約9%)、ウズベク人(約9%)とされています。一方で、アジア財団(The Asia Foundation)による2019年の意識調査では、パシュトゥン人(約37%)、タジク人(約41%)、ハザラ人(約11%)、ウズベク人(約10%)という結果も報告されており、タジク人の割合がより高いとする説も有力です。このように統計により数値が異なるのは、政治的な影響力や居住地域の調査難易度が関係しているためですが、一般に、CIA World Factbookの構成比が採用されてます。
アフガニスタンの言語
言語については、憲法上の公用語であったパシュト語とダリー語(アフガン・ペルシア語)が広く使われており、特にダリー語は共通語としての役割を果たしています。この他にウズベク語、トルクメン語、バローチ語などが各地域、民族内で使用されています。宗教面では、人口の99%以上がイスラム教徒(マホメット教、回教)であり、その内訳はスンニ派が約80〜85%、シーア派(主にハザラ人)が約15〜19%と推計されます。「マホメット教」という呼称は歴史的な誤称であり、現在は「イスラム教」と呼ぶのが一般的です。
アフガニスタンの地政学的重要性
「文明の十字路」として交易の中心地
アフガニスタンは「文明の十字路」として知られ、古来よりヒンドゥクッシュ山脈を中心に中央アジア、南アジア、西アジアを結ぶシルクロードの中継地点として発展し、戦略的な要衝でした。ユーラシア大陸の略中央に位置するアフガニスタンは、中央アジアとも、西南アジアとも南アジアとも呼ばれる位置に存在し、ヒンドゥクッシュ山脈の北側は、西トルキスタンの一部で中央アジアに属し、ヒンドゥクッシュ山脈の東及び南側は古来よりインドの勢力圏下にあり南アジアに含まれます。ヘラートを中心とする西側は、イランのホラサーン地方との結びつきが深く西南アジアと言えます。
「帝国の墓場」と化すアフガニスタン
アフガニスタンは、歴史上20を超える帝国や王朝の支配下に置かれましたが、険しい地形と強固な部族社会ゆえに完全な統治は極めて困難でした。アフガニスタンが歴史上国家として成立したのは、18世紀に入って、カンダハル付近からパシュトゥン人系のホータキー王朝がおこり、イランのサハビー朝勢力をアフガニスタンから追い払い、当時のイランの首都イスファハンを占領してからです。その後、1747年、アフマド・シャー・ドゥラーニーによってドゥラーニー朝が創設されたことが、近代アフガニスタンの国家形成の出発点とされています。
ドゥラーニー朝以降も19世紀から20世紀にかけても、イギリス、ソ連、そして米国という当時の超大国による軍事介入を退けてきた歴史から「帝国の墓場」と呼ばれます。19世紀の三度にわたるアングロ・アフガン戦争(単に、「アフガン戦争」とも言う)、1979年からのソ連軍による侵攻、そして2001年から20年に及んだ米軍の駐留はいずれも、多大なコストをかけながらも最終的には撤退を余儀なくされる結果となりました。古くよりアフガニスタンを侵略した帝国及び王朝は、いずれも滅亡や崩壊、勢力の大幅な低下を招いていることから、アフガニスタンは「帝国の墓場」と言われている所以です。近年でもアフガニスタンに侵攻したソビエト連邦が崩壊したのは記憶に新しい事実です。
2021年の米軍撤退とタリバンの復権は、この「帝国の墓場」という異名を改めて世界に印象づけました。「アフガニスタンの呪い」はアメリカの軍事介入にどのような仕打ちを下すのでしょうか?アフガニスタンに侵攻したアメリカも同じ運命を辿り、アフガニスタンの「帝国の墓場」の呪いを受けるのでしょうか。第二次トランプ政権が正に「アフガニスタンの呪い」を受けているようにも思われます。
現在、トランプ政権を含む米国の対アフガン政策は、軍事介入から経済制裁や外交的圧力へとシフトしていますが、長年の戦乱による人道危機や女性の権利抑圧など、国内には深刻な課題が山積しています。この地が「呪い」を解き放ち、真の安定を享受できるかは、依然として国際社会の大きな懸念事項となっています。
近隣諸国と国内の地理
国土は、パキスタン、イラン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン及びワハーン回廊を通じて中華人民共和国の新彊ウイグル自治区に囲まれた内陸国です。
また、国土の中央をパミール高原やカラコラム山脈から連なるヒンドゥクッシュ山脈とその支脈コヒババ山脈(コイババ山脈)等の多くの支脈とパキスタンとの国境にスレイマン山脈が連なり、平均海抜高度1,884mの山岳国です。








