古代史⓫;遊牧民の国家エフタル帝国の勃興と衰退

エフタル帝国の起源

草原の統一と初期の勢力拡大

エフタルは、ユーラシア大陸の広大な草原地帯に根ざす遊牧民族の流れの中にあります。この地帯ではスキタイや匈奴といった多くの遊牧民族が勢力を競い合ってきました。エフタル族もその中で勢力を伸ばしてきました。彼らは草原の統一を達成し、初期の勢力拡大に成功しました。

エフタルの起源

500年時のエフタルの支配地域
500年頃のエフタルの支配地域

エフタルは、バクトリア東部にいた遊牧民が勢力を拡大したとする説が最も有力ですが、その他アルタイ山脈から南下した遊牧民説と大月氏の流れを汲むとする説があります。

 

エフタルは、5世紀中ごろに現在のアフガニスタン東北部に勃興し、勢力を失ったクシャナ朝後のキダーラ朝を滅ぼしてバクトリア地方からヒンドゥクッシュ山脈を越えたガンダーラまで支配しました。

 

520年頃のエフタルの支配地域
520年頃のエフタルの支配地域

草原の統一は、エフタル族による効率的な組織力と戦略的な連合によるものでした。遊牧民ならではの機動力と厳しい自然環境に適応した生活様式が、エフタル族を強力な戦士集団として成長させ、勢力圏を拡大する鍵となりました。この過程でエフタル族は、他の遊牧民族やオアシス国家との交流を経て、さらに勢力を強化していったのです。

アフガニスタン・トルキスタンを本拠地として拡張

エフタル帝国の拡張は、現代のアフガニスタン北部やトルキスタン地域を本拠地とすることで加速しました。これらの地域は戦略的に非常に重要であり、オアシス都市や交易路が豊富でした。アフガニスタンはその地理的条件から、エフタル帝国の勢力圏拡大の拠点となりました。

 

さらに、エフタル帝国はこの地域での支配を通じて、中央アジア全体への影響力も増大させました。独自の特徴を持つ文化や社会構造を維持しつつ、エフタル族は周辺のオアシス国家や遊牧民族と巧妙に連携しました。これにより、エフタル帝国は草原の統一勢力から一大帝国へと変貌を遂げました。

エフタル帝国の全盛期

中央アジアにおける支配力の強化

エフタル帝国の全盛期には、アフガニスタンを含む広大な地域でその勢力圏を拡大しました。特に中央アジアでは、エフタル帝国の支配力が強化されました。この地域は歴史的に多くの遊牧民族やオアシス国家が存在し、エフタルはその中でも突出した存在となりました。帝国は、戦略的な都市や交易路を掌握し、経済や軍事の両面で優れた統治を行いました。特徴的なのは、多民族の共存と交流を促進し、文化や技術の発展にも寄与した点です。

ヒンドゥークシュ山脈南部の影響力拡大

トランスオクシアナのエフタル人兵士
エフタル人兵士

エフタル帝国はその勢力をさらに南に広げ、ヒンドゥークシュ山脈南部にも影響力を持つようになりました。アフガニスタンのこの地域では、エフタルは支配階層としての地位を確立しました。この動きは、インドの古典文明や周辺地域の文化とも交流を深める結果となりました。エフタルの南方への進出により、古代オリエント世界やインダス文明の遺産とも接点が生まれ、多様な文化が交錯する複雑な社会が形成されていきました。

エフタル帝国の衰退と崩壊

外部勢力の侵攻と内部対立

エフタル帝国はその繁栄の最中、内部対立と外部勢力の侵攻という二つの問題に直面しました。アフガニスタンを含む広範な勢力圏を支配していたエフタルですが、帝国内部では王位継承を巡る紛争や地域的権力闘争が絶えませんでした。この内部対立により、帝国の統一力は徐々に崩れ始めました。

 

557-625頃のエフタル帝国
エフタルの支配地域(557-625年頃)

さらに、外部からはサーサーン朝ペルシアや突厥などの勢力が侵攻してきました。特にサーサーン朝のホスロー1世(カワード)の時代には、エフタルに対する攻撃が強化されました。558年ホスロー1世は突厥の西面可汗(皇帝)の室点蜜と協同でエフタルに攻撃を仕掛けたブハラの戦いにおいてエフタルに徹底的な打撃を与えました。エフタルは反撃に出るも、徐々に領土を失い、最終的には突厥の室点蜜の北方からの侵攻により567年までに滅ぼされました。

 

エフタルが国家として滅亡後もエフタルと呼ばれる集団が存続し、中国の隋の煬帝の治世期(605年-618年)に遣使を送ったことが記録されている他、588年の第一次ペルソ・テュルク戦争及び619年の第二次ペルソ・テュルク戦争に参戦しています。しかし、次第に他民族に飲み込まれ8世紀には消滅しました。

帝国崩壊後の地域情勢

エフタル帝国の崩壊後、アフガニスタンを含む地域は様々な勢力によって分割されました。かつてのエフタルの統一的な支配は失われ、地域は過去に存在した遊牧民族やオアシス国家、さらには新たなイスラーム勢力の影響を受けるようになりました。

 

一方では、突厥が中央アジアの新たな覇権を獲得する一方で、アフガニスタンやトルキスタンの地域では地方諸侯が権力を握るようになりました。この時期、文化や技術の交流も新たな段階に達し、古代オリエントやインドの古典文明からの影響も強まりました。

 

エフタル帝国の興亡は、ユーラシアにおける遊牧民族と定住民族のダイナミックな歴史の一部であり、この地域の歴史における重要な転換点を示しています。