大月氏(だいげっし、またはだい・おおつきし)は、もともと中央アジアのイリ地方(現在の中国新疆ウイグル自治区北部)付近に住んでいたインド・ヨーロッパ語系の遊牧民族です。彼らは紀元前2世紀ごろまでこの地で勢力を誇っていましたが、同じく遊牧民族であった匈奴の侵攻を受けて敗北し、西方へと移動を余儀なくされました。この移動により、大月氏はアムダリヤ川(古代のオクサス川)流域のバクトリア地方へと進出し、そこに定住して勢力を再興しました。
この移動先のバクトリアでは、彼らはもともとギリシア系王朝が支配していた地域を征服し、定住化を進めるとともに周辺諸勢力を服属させていきます。その後、大月氏の支配層の一派である貴族クシャナ族が台頭し、紀元1世紀ごろにクシャナ朝(クシャーン朝)を建てました。この王朝はインド北部からアフガニスタン、中央アジアにまたがる広大な領土を有し、交易・宗教・文化の交流拠点として大きな役割を果たします。特に、クシャナ朝は仏教を手厚く保護し、その結果、仏教は中央アジアを経て中国や朝鮮半島、日本へと伝播していくことになります。
このように、大月氏は匈奴との対立を契機に西遷し、新たな地で勢力を築き、最終的にはクシャナ朝という国際的な影響力を持つ王朝を生み出すことに繋がりました。その歴史は、ユーラシア大陸における民族移動と文化交流のダイナミズムを象徴する重要な事例といえるでしょう。
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