年表で見るアフガニスタンの歴史

アフガニスタンは祖先となるアーリア系民族の移住以後、古代からアジアとヨーロッパを結ぶ「文明の十字路」としての役割を果たしてきました。中央アジアへの入口としても重要な位置を占めています。
遊牧民族であり、山岳系民族である彼らは、騎馬による戦いに長け、その民族史は勇猛さによって軍隊としての戦いの軌跡をも描いています。その略史を辿ってみます。

アフガニスタンの古代

紀元前

B.C.30世紀

アフガニスタン南部のヘルマンド川を中心としてヘルマンド文明が栄える。

 

B.C.30~20世紀

アフガニスタン北部・中央アジアのオクサス川流域でオクサス文明の隆盛期。

 

アフガニスタンの古典期

B.C.6世紀~A.D.11世紀

現在のパキスタン北西部からアフガニスタン東部にガンダーラ王国が栄える。
クシャーナ朝のもとで最盛期を迎える。

 

B.C.7~4世紀

アケメネス朝ペルシアの1州として繁栄。

 

B.C.4世紀

アレクサンドロス大王の東征で、ギリシア・ヘレニズム文化の影響を受け、のちクシャナ朝時代に、仏教文化と融合したガンダーラ美術となって、仏像彫刻を産み出した。

 

B.C.312年

アレクサンドロス大王の後継者のセレウコス1世がセレウコス朝を築く。

 

B.C.250

セレウコス朝の支配下にあったバクトリア総督ディオドトスが独立。

 

B.C.3世紀

インドのマウルヤ朝アショカ王、各地に碑文を建立。

 

紀元後

A.D.2世紀

クシャナ朝の支配下に置かれ、この時代にバーミヤンの石仏が造られる。

 

4世紀

ササン朝ペルシアが支配。

 

5世紀

エフタルの侵入を受ける。

 

6世紀

西突厥、アフガニスタン支配。

 

アフガニスタンの中世

642年

イスラム教徒の侵入。

 

977~1186

ガズニ朝(アフガニスタン最初のイスラム王朝)
北インドへの侵入を繰り返し、インドのイスラム化を促進。

 

12~13世紀

ゴール朝。

 

122O年

モンゴル軍、アフガニスタンに侵入。
アラー・ウッディンとその息子たちの軍、チンギス・ハーンの軍と戦う。
バーミアンが包囲され破壊される。アフガン軍の猛烈な抵抗に遭い、チンギス・ハーンの破壊。
苛烈をきわめる。モンゴル軍、全アフガニスタン占領。

 

1370年

ティムール帝国建国。

 

15~17世紀

チムール帝国、ムガール帝国による支配。

 

アフガニスタンの近世

1722年

パシュトゥーン族のギルザイ族、イランに攻め込みサファビ朝の首都イスファファンを占領。

 

1747年

ル・シャー下のアフガン族部隊、故郷カンダハールに帰り、部族連合を結成。アフガニスタン建国(ドゥッラーニー朝)。

 

19世紀初頭 ドゥッラーニー内部の勢力争いが激化し、バーラクザイが統治権を得てバーラクザイ朝を興す。

 

1826年

ドースト・ムハンマッドが王となる(以後1978年まで彼の家系が王位を継承)。
国家形成期。近代化派と部族保守派との間で激しい確執が続くが、近代化に成功せず
ロシア南下政策でアフガニスタンへ動きを見せる。イギリスこれを警戒。

 

1838~42年

第一次アフガン戦争。アフガニスタン軍がイギリスを打ち破る。

 

1878~81年

第二次アフガン戦争。イギリス軍破れ、アフガニスタン支配を諦める
イギリス、国王を援助。部族連合から専制国家へ脱皮。

 

1919年

第三次アフガン戦争。アフガニスタン軍、イギリスの疲弊に乗じてインドに侵攻
イギリス、外交権をアフガニスタンに戻し、アフガニスタン完全独立。

 

アフガニスタンの現代

1919~29年

国王アマーヌ・アッラー、社会改革と経済開発を試みるが宗教家や部族長など保守派の反対で成功せず。

 

1973年

ダーウド、クーデターを起こし、アフガニスタン共和国成立。

 

1978年

4月革命
アフガニスタン民主共和国成立、タラキーによる親ソ政権成立
ソ連と友好善隣協力条約締結。民族主義による反政府運動起きる。

 

1979年 9月

アミン、クーデターにより政権奪取、穏健民族主義に回帰。

 

12月、クーデターでカルマルが立ち、ソ連軍アフガニスタンに侵攻、駐留

 

1980年

反政府・反ソ民族抵抗運動が燃え上がり、各地でゲリラ戦闘が展開。

 

1986年

カルマル解任、ナジブラ政権樹立、大統領就任、アフガニスタン共和国となる。
八六年五月、カルマル革命評議長は解任され、秘密警察出身のナジブラが後継者となって、八七年十一月大統領となり憲法を制定、アフガニスタン共和国となった。

 

1989年 2月

ソ連軍の完全撤退。

 

1992年

反政府ゲリラ連合軍により、カブール占領、ゲリラ八派は連合して新政権を樹立。
しかし各派の対立・抗争が深まり、分裂・解散して戦闘再開。

 

1996年

新勢力タリバーン、首都カブール占領、新政権樹立。

 

1999年

「タシケント宣言」採択。
国連、タリバーンに対し、経済制裁決議。

 

2000年

2年連続の旱魃に襲われる。

 

1999年

アメリカ、前年8月にケニアとタンザニアで発生したアメリカ大使館爆破事件に関し、実行犯がターリバーン政権の下に隠れたため、アメリカ政府が身柄引き渡しを要求、ターリバーン政権がこれを拒否したため、経済制裁を課す。

 

2000年 10月

アメリカ、米国艦船への攻撃の首謀者がウサーマ・ビン=ラーディンと特定された場合はアフガニスタンに攻撃すると警告。

 

11月
ターリバーンと北部同盟、和平会談に合意。

 

2001年 2月

バーミヤーンの大仏像がターリバーンにより破壊される。

 

9月
9.11同時多発テロがアメリカで発生し、米軍や北部同盟によるターリバーンへの攻撃により、10月、ターリバーン政権が崩壊。

 

12月
ボン会議により暫定政権樹立、ハーミド・カルザイ議長が選出される。統治機構政治プロセス(ボン・プロセス)による民主化を進めることで合意。

 

2002年 5月

国連安全保障理事会、2002年12月までの任期で国際治安支援部隊(IASF)派遣を決定。

 

6月

緊急ローヤ・ジルガ(大会議)開催、カルザイ暫定行政機構が首班に選出され、主要閣僚人事が承認される。

 

2003 8月

NATOがカーブル市内の治安維持を開始。ヨーロッパ以外の国での初の活動となる。

 

12月  憲法制定ローヤ・ジルガが開催される。

 

2004年 1月

大統領の権限を強めた新憲法が発布され、国名は「アフガニスタン・イスラーム共和国」となる。

 

10月  第1回大統領選挙実施。カルザイ大統領が得票率55.4%で選出される。

 

2006年 10月

NATOはアフガニスタン全土の治安維持を担当することとなる。

 

2008年

ターリバーンがカンダハールの刑務所を襲撃、350人以上の兵士を開放する。
カーブル市内のインド大使館が自爆テロに遭い、40人以上が死亡、140人が負傷。
ターリバーン、フランス兵10名を殺害。

 

8月  アメリカ、4500人の兵士を追加投入。

 

10月  ドイツ、アフガニスタンへの派兵を2009年まで延長し、兵士数を1000人から45000人に増員。

 

2009年 11月

カルザイ大統領が得票率56.4%で再選を決める。2位のアブドゥッラー候補は決選投票を辞退する。

 

2011年 5月

ウサーマ・ビン=ラーディンがパキスタン国内で米軍特殊部隊により殺害される。

 

2012年 12月

カーブル、ナンガルハール州、パクティア州、ロガール州で同時テロ発生、11人が死亡。

2013年 4月

ターリバーン創始者ムハンマド・ウマルがパキスタンのカラーチー市内の病院で死亡。

 

6月  ターリバーン、カタール首都ドーハに事務所を設置する。アメリカやアフガニスタン政府との協議を開始。

 

2014年 12月

米軍及びNATO軍の戦闘活動は終了し表面的には撤退。
引き続き、北大西洋条約機構(NATO)主導の「確固たる支援任務(RSM:Resolute Support Mission)」が開始され、アフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)への教育訓練や助言などを主任務とした。

 

2015年 7月

ターリバーン代表団がアフガニスタン政府とパキスタンの首都イスラ―マーバードおよび近郊の町マリーで和平に向けて初の公式協議。

 

2020年 2月

ドーハにおいて、アメリカとターリバーンの間で和平合意が成立、共同宣言が発出される。9月  本格的な和平交渉が開始される。

 

2021 8月

ターリバーン、首都カーブルを制圧、新政権樹立。