アフガニスタン略史;アフガニスタン全史を概説

先史時代から古代文明

アフガニスタンの歴史は、多くの異なる文明や文化が交錯した場として知られています。先史時代から古代文明の時期には、この地域が重要な交流の場であったことが明らかです。以下では、インダス文明とオクサス文明、そしてラピスラズリ交易について詳述します。

インダス文明とオクサス文明

アフガニスタンの歴史を語る上で欠かせないのが、インダス文明とオクサス文明です。インダス文明は紀元前2600年から紀元前1900年頃にかけて、現在のパキスタンやインド北西部を中心に栄えた文明で、アフガニスタンにもその影響が及んでいました。

 

この文明は都市計画や下水設備が発達していたものの、王宮や神殿といった大型建築物はありませんでした。

 

一方、オクサス文明はアフガニスタン北部のアムダリヤ川上流付近で栄えたもので、紀元前2200年から紀元前1700年頃に存在したとされています。この地域では高度な金属加工技術や独自の芸術が発展しました。

 

両文明は互いに影響を及ぼし合い、アフガニスタンが古代から重要な交易と文化の交差点であったことを物語っています。

ラピスラズリ交易

アフガニスタンは古代からラピスラズリの主要な産地として知られています。この貴重な青い鉱石は、アフガニスタンのバダフシャーン地方から採掘され、エジプトやメソポタミアなど様々な古代文明の地にもに輸出されました。ラピスラズリは王室や宗教的な装飾品に使用され、高価な交易品として重宝されました。

 

このラピスラズリ交易を通じて、アフガニスタンは他の地域と経済的および文化的に深く結びつき、多くの文明が交流する場となりました。

 

    • 前6世紀 – アケメネス朝ペルシャに占領
    • 前330年 – フガニスタンを支配していたペルシア帝国ごとアレクサンドロス大王に征服される
    • 前256~前130年頃 – 北部にバクトリア王国(ギリシア系)建国。
    • 3~4世紀 – ササン朝ペルシャの西からの攻勢
    • 7世紀ン半ば – アラブ人が侵入

 

イスラム帝国時代

アッバース朝とサーマーン朝

アフガニスタンの歴史においてイスラム帝国時代は非常に重要な時期です。この時期、アフガニスタンはアッバース朝とサーマーン朝という二つの大きなイスラム王朝の支配を受けました。

 

アッバース朝は750年から1258年にかけてイスラム世界の中心的な存在でした。アフガニスタンもその支配域に含まれ、多くの文化や宗教の発展が見られました。特に、都市や交易の発展によって繁栄し、イスラム教が広がりました。

 

その後、9世紀の終わり頃にはサーマーン朝が台頭します。サーマーン朝は875年から999年まで中央アジアとアフガニスタンを支配し、サーマーン朝時代にはサーマーン家の諸王が支配していた地域は、文化的にも経済的にも大いに栄えました。

 

これらの時代において、アフガニスタンは地理的に重要な位置にあり、東西の交易路が交差する地点であったため、しばしば異なる文化や宗教が交差しました。このような歴史的背景もあり、アフガニスタンの歴史を理解するためには、アッバース朝とサーマーン朝の影響を知ることが重要です。年表表記や箇条書きで整理することで、さらに理解が深まるでしょう。

中世から近世の変遷

アフガニスタンの歴史は中世から近世にかけて大きな変動がありました。この時期は、さまざまな王朝が台頭し、征服や抗争が繰り広げられました。以下に、その主要な出来事を年表形式で示します。

 

ガズナ朝とホラズム朝

ガズナ朝は10世紀から12世紀にかけて栄えたイスラム王朝で、現代のアフガニスタン東部を中心に支配していました。彼らはインド亜大陸にも勢力を伸ばし、多くの富を獲得しました。ガズナ朝の後、ホラズム朝が12世紀末にアフガニスタンを支配するようになりました。

    • 962年 – サブク・ティギーンがガズナ朝を建国
    • 1030年 – ガズナ朝最盛期、マフムード・ガズナヴィによるインド遠征
    • 10世紀後半~11世紀 – ガズナ朝(トルコ系イスラム)が支配
    • 1141年 – セルジューク朝によりガズナ朝が崩壊
    • 1148~1215 –  イラン系のゴール朝のもとでイスラム文化が繁栄(=初期のイスラム王朝)
    • 1215 – ホラズム・シャー朝によってゴール朝が滅ぼされる

モンゴル帝国の侵入とティムール朝

13世紀初頭、チンギス・ハン率いるモンゴル帝国がアフガニスタンに侵入し、広範囲にわたる破壊をもたらしました。その後、14世紀にはティムール朝が現れ、アフガニスタンを再び一つの政権下に収めました。

    • 1220年 – チンギス・ハンがアフガニスタンに侵入、ホラズム・シャー朝崩壊
    • 1370年 – モンゴルの後継者を名乗るティムールがサマルカンドを首都にティムール朝を建国。その後、アフガニスタンに侵攻し制圧
    • 1405年 – ティムールの死後、子孫たちによる内部分裂が始まる
    • 1504年頃 – ティムールの後継者を名乗ったバーブルがインドにムガール帝国を建国し、1504年頃にカブールを制圧
    • 16世紀後半:イランからサファーヴィー朝、北からはウズベク族が侵入
    • 1722年 – アフガニスタンのキルザイ族の族長が反乱を起こしサファヴィー朝の首都イスファハーンを占領するも、ナーディル・シャー率いるイランの反撃にあう。
    • 1738年 – アフガニスタン全土がアフシャール朝に支配される。
    • 1747年 – ナーディルが暗殺され、アフガン族はアフマド・シャー・ドゥッラーニーをみずからの指導者にえらび、アフガンの国ドゥッラーニ朝を建国
    • 1818年 – ドゥッラーニ朝崩壊

 

これらの出来事が、中世から近世のアフガニスタンの歴史を形作りました。このような激動の時期にもかかわらず、アフガニスタンは重要な交易ルートと文化的な交流地点としてその位置を保持し続けました。

 

次ページに続く