近代の動乱と独立
イギリスとの戦争と独立
アフガニスタンは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスとの間で幾度も戦争を繰り広げました。これらの戦争は「アングロ・アフガン戦争」として知られています。背景には、アフガニスタンを巡るイギリスと南下政策をとるロシアとのグレートゲームと呼ばれる覇権争いがあります。
初めての戦争は第一次アフガン戦争と呼ばれ1839年から1842年にかけて行われ、第二次アフガン戦争は1878年から1880年に行われました。そして第三次アフガン戦争が1919年に起こり、その結果アフガニスタンは完全な独立を獲得しました。この独立はアフガニスタンの歴史において非常に重要な転換点となりました。
王政とその崩壊
アフガニスタンは独立を果たした後、王政の時代を迎えました。特に19世紀末から20世紀初頭にかけてアマンウラー・ハーンが改革を推進し、国の近代化を図りました。しかし、これらの改革は国内外で反発を招きました。
その結果、1929年にはアマンウラー・ハーンが退位し、ザヒール・シャーが新たに王位に就きました。彼の治世は約40年続きましたが、1973年に親族によるクーデターによって王政は崩壊し、アフガニスタンは共和制に移行します。
現代のアフガニスタン
冷戦期の政変
冷戦期におけるアフガニスタンの歴史は、ソ連の影響下で大きな変動がありました。1978年に発生したサウル革命により、共産主義政権が樹立されましたが、政権内部での対立や反政府勢力による抵抗が続きました。
1979年にはソ連が軍事介入し、アフガニスタン紛争が勃発します。この紛争は1989年にソ連軍が撤退するまで続き、アフガニスタンはさらなる動乱に陥りました。この軍事介入の影響は大きく現在まで40年以上に渡り続くアフガニスタンの混迷の原因になっています。
タリバン政権とアメリカの介入
1990年代にかけて、アフガニスタンは内戦状態にありました。その中で、1996年にターリバーンが首都カブールを制圧し、イスラム首長国アフガニスタンを樹立しました。しかし、ターリバーン政権は経済制裁や国際的な孤立に直面しました。
1999年9月にはアメリカ政府がターリバーン政権に経済制裁を科し、さらに2001年にはアメリカを含む国際連合による一連の制裁が強化されました。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を受け、アメリカ政府はウサーマ・ビン=ラーディンを匿うターリバーン政権に対する軍事行動を開始しました。その結果、2001年末にはターリバーン政権が崩壊し、国際社会の支援を受けた新たな政権が発足しました。
21世紀の復興と課題
21世紀に入ってからのアフガニスタンは、復興と発展を目指して多くの努力が払われてきました。国際社会からの援助を受けつつ、教育、インフラ、医療など様々な分野で改善が見られました。しかし、依然として治安の不安定さや汚職、麻薬取引の問題が残っています。
2010年代にはタリバン勢力が再び台頭し、治安状況が再び悪化しました。2021年にはアメリカ軍が撤退し、その直後にタリバンが再び政権を掌握しました。これにより、アフガニスタンの将来に対する国際的な懸念が高まっています。
なお、最近のアフガニスタンの歴史を年表表記で主要な出来事を箇条書きにすると以下の通りです。
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- 1973年 – ダーウド、クーデターを起こし、アフガニスタン共和国成立
- 1978年 – 4月革命、アフガニスタン民主共和国成立、タラキーによる親ソ政権成立
ソ連と友好善隣協力条約締結。民族主義による反政府運動起きる - 1979年 – 9月アミン、クーデターにより政権奪取、穏健民族主義に回帰
1979年 – 12月、クーデターでカルマルが立ち、ソ連軍アフガニスタンに侵攻、駐留 - 1980年 – 反政府・反ソ民族抵抗運動が燃え上がり、各地でゲリラ戦闘が展開
- 1986年 – カルマル解任、ナジブラ政権樹立、大統領就任、アフガニスタン共和国となる
5月、カルマル革命評議長は解任される - 1987年 –11月、 秘密警察出身のナジブラが後継大統領となり憲法を制定、アフガニスタン共和国となった。
- 1989年 – ソ連軍撤退
- 1992年 – 反政府ゲリラ連合軍により、カブール占領、ゲリラ八派は連合して新政権を樹立
しかし各派の対立・抗争が深まり、分裂・解散して戦闘再開 - 1996 年 – 新勢力タリバーン、首都カブール占領、新政権樹立
- 1999年 – 「タシケント宣言」採択。国連、タリバーンに対し、経済制裁決議
- 2000年 – 2年連続の旱魃に襲われる
- 2021年年 – アメリカ軍撤退、ターリバーン政権再台頭
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