目次
ハザラ人の起源
ハザラ人の歴史的背景
ハザラ人はアフガニスタンを中心に居住する少数民族で、その起源は複雑で多面的です。総人口は800万から1400万人と推定され、主にアフガニスタンのハザラジャートと呼ばれる中央高地に集中しています。
歴史的には、彼らはモンゴル帝国の時代にその起源を持つとされていますが、具体的な根拠や証拠には依然として議論があります。
モンゴル系であることの証拠
ハザラ人がモンゴル系であることは、主に外見的特徴や言語的な要素、および歴史的な記述から推測されています。ハザラ人の外見にはモンゴロイド的な要素が強く現れており、これは彼らがモンゴル帝国の侵攻により現地に定住したモンゴル人の子孫であることを示唆しています。
また、言語としてペルシャ語の一派であるダリー語とハザラ語を話しますが、その中にはモンゴル語由来の語彙も含まれています。これらの要素から、ハザラ人がモンゴル系の血を引く民族であることが見受けられます。
ハザラ人の居住地
アフガニスタン中央山岳地帯
ハザラ人はアフガニスタンの中央部に多く居住しており、特にバーミヤーン州やダイコンディ州などの地域がその主な住処となっています。これらの地域は「ハザラジャート」とも呼ばれ、歴史的にハザラ人が長きにわたって居住してきた土地です。
山岳地帯が多く、農業や牧畜が主要な生活手段とされています。しかし、この地域はインフラが整っておらず、経済的にも厳しい環境にあります。
パキスタンとイランのハザラ人
ハザラ人はアフガニスタンだけでなく、パキスタンやイランにも広がっています。パキスタンに住むハザラ人は200万人と言われ、特にクエッタ市に多く居住しており、その人口は約50万人と推定されています。クエッタでは、ハザラ人が独自のコミュニティを形成し、経済や教育の面でも一定の役割を果たしています。
一方、イランには約55万人のハザラ人が居住しており、多くはヘラート州からの移住者です。イランにおけるハザラ人も固有のコミュニティを持ち、さまざまな職に従事していますが、やはり差別や迫害に直面することが少なくありません。
ハザラ人の宗教
シーア派イスラム教の信仰
ハザラ人は主にシーア派イスラム教徒であり、この信仰が彼らの生活に深い影響を与えています。アフガニスタンの他の民族と比較しても、シーア派信仰が非常に強いのがハザラ人の特徴です。
シーア派イスラム教は預言者ムハンマドの従兄弟であり娘婿であるアリーとその子孫を正当な後継者とする信仰で、12イマームの存在を信じます。
これに対し、スンニ派イスラム教はアリーを含む四大正統カリフを認める点で異なります。ハザラ人はシーア派の中でも十二イマーム派が多く、その宗教行事や儀式も十二イマーム派に基づいて行われます。たとえば、アシュラやムハッラムの儀式は非常に重要で、多くの時間とリソースをかけて厳粛に執り行われます。
他の宗教との違い
ハザラ人の宗教的特徴として、シーア派特有の慣習や儀式があります。例えば、シーア派の信者はイマーム・アリーやホセインを敬愛し、彼らの殉教を記念するアシュラの祭りでは悲しみと断食が行われます。この点で、スンニ派イスラム教徒とは大きく異なります。
スンニ派はより多様な宗教的指導者を認め、ウマイヤ朝やアッバース朝の歴史を重視するため、儀式や信仰の形態も異なります。また、スンニ派イスラム教徒は金曜礼拝を特に重視し、集団礼拝としての性格が強いのに対し、シーア派はより個人の悔悛や殉教者への敬愛を表す行事が多いと言えます。
さらに、ハザラ人はキリスト教や仏教などの他の宗教とも違いがあります。例えば、一神教であり偶像崇拝を厳格に禁止しているイスラム教の教義に基づき、特定の宗教的象徴や偶像を持たない点が挙げられます。
ハザラ人の文化
言語と文学
ハザラ人の言語は、主にダリー語とハザラ語を使用します。ダリー語はペルシャ語の一種であり、ハザラ語もペルシャ語の方言として分類されます。そのため、ハザラ人の言語は非常に豊かで、多様性に富んでいます。
ハザラ人の文学には、歴史や伝統が深く根差しています。特に口承文学が重要な役割を果たしており、詩や物語が世代を超えて伝えられてきました。これにより、ハザラ人の文化と特徴を次世代に伝える重要な手段となっています。
伝統的な芸術と音楽
ハザラ人の伝統的な芸術は、多彩で独自の特徴を持っています。特に織物や刺繍などの手工芸品が有名で、彼らの技術は高く評価されています。これらの芸術作品は、日常生活の中で使われるだけでなく、祭りや特別な行事でも重宝されています。
音楽もハザラ人の文化において重要な位置を占めています。ハザラ人の音楽は、伝統的な楽器で演奏されるフォークミュージックが中心で、歌や踊りが融合した形式が多く見られます。これにより、彼らの文化や歴史を音楽を通じて感じることができます。
アフガニスタンのハザラ人を理解するには、彼らの豊かな文化を学ぶことが不可欠です。これにより、その特徴や背景をより深く知ることができるでしょう。
ハザラ人の社会的状況
経済的状況
ハザラ人の経済的状況は、アフガニスタンの他の民族と比較しても厳しいものがあります。ハザラ人は歴史的に農耕や牧畜に従事しており、農地の確保が困難な地理的条件の中で生活を営んできました。
また、都市部に移住したハザラ人もいますが、彼らは一般的に低賃金の労働に従事しており、経済的な安定を得るのは容易ではありません。
加えて、過去の迫害や差別の影響から、社会的・経済的な機会が制限されることが多く、一部のハザラ人は生活の向上のためにパキスタンやイラン、さらには欧州連合諸国への移住を選択せざるを得ない状況にあります。これにより、ハザラ人コミュニティは海外送金に大きく依存する傾向があります。
教育と識字率
ハザラ人の教育と識字率は、他の地域や民族と比較しても高い傾向にあります。多くのハザラ人は教育の重要性を深く理解しており、子どもたちに教育を受けさせることを重視しています。特に、アフガニスタン内のハザラ人コミュニティでは、学校や教育機関の設立に積極的に取り組んでいます。
しかし、教育環境には多くの課題も存在します。経済的困難や社会的差別が障壁となり、高等教育へのアクセスが制限される場合があります。それでもなお、多くのハザラ人は困難を乗り越え、大学教育を受けて専門職に就くことで社会的地位の向上を図っています。
また、教育を受けたハザラ人の中には、海外での留学や研究活動に従事する者も多く、彼らの知見や経験を持ち帰ってコミュニティの発展に寄与しています。このように、教育と識字率の向上はハザラ人社会の発展において極めて重要な要素となっています。
ハザラ人に対する迫害の歴史
過去の迫害事例
ハザラ人は歴史的にアフガニスタンにおいて度重なる迫害を受けてきました。19世紀末、アフガニスタンのアミール・アブドゥル・ラフマン・カーンの時代に大規模な迫害が行われ、多くのハザラ人が命を落とし、生存者は他地域に逃れることを余儀なくされました。この迫害の背景には、ハザラ人のシーア派イスラム教信仰が他の主要なスンニ派である民族との宗教的対立がありました。
20世紀に入っても、ハザラ人に対する差別と迫害は続きました。特に1990年代のタリバン政権時代には、ハザラ人は多くの暴力行為の対象となり、虐殺や強制移住を経験しました。このような虐待はハザラ人の社会的、経済的基盤を大きく揺るがしました。
現在の状況と課題
現在でもハザラ人はアフガニスタン内外で様々な形で差別と迫害を経験しています。アフガニスタン国内では、依然として社会的、経済的な不平等が存在し、ハザラ人が教育や雇用の機会を得ることが困難な状況が続いています。また、テロリスト組織や武装勢力による攻撃も頻発しており、安全面でも大きな課題があります。
さらに、国外に逃れたハザラ人も形を変えた迫害に直面することがあります。特にパキスタンでは、クエッタに居住するハザラ人がしばしばテロのターゲットにされ、命を落とす事件が頻発しています。一方、イランでは難民としての地位が公式に認められず、社会的な支援を受けにくい状況が続いています。
ハザラ人の将来を改善するためには、国際社会からの支援と共に、アフガニスタン政府による平等な政策実施、そして地域社会の理解が求められます。教育や経済活動の機会を拡大し、ハザラ人が持つ文化や言語を尊重する姿勢が必要です。
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