中世史❼-3;フラグの西アジア遠征とイル・ハン国の軌跡

交易路の整備と経済的繁栄

イル・ハン国は、シルクロードを含む広大な交易ネットワークの支配者として、経済的繁栄を享受しました。特に、東方のモンゴルや中国、さらには西方のイラクや地中海沿岸諸国とつながる交易路が整備されたことで、この地域の商業が活性化しました。イル・ハン国は交易路の安全を確保し、キャラバンサライ(隊商宿)の設置などを通じて商人たちを保護しました。これにより、イランのみならず、現在のアフガニスタンを含む南部の領土まで経済圏が広がり、文化的・経済的交流が活発に行われるようになりました。この広範な交易活動は同時に、モンゴル帝国全体の経済的円滑化にも寄与しました。

イル・ハン国宮廷と文学・芸術

 

イラスト入りの詩と叙事詩(宮廷図)

イル・ハン国時代の宮廷は、文学と芸術の中心地としても高い評価を得ています。宮廷では、イランの伝統文化を基盤としつつ、モンゴルの要素が加わった新しい形式の芸術や建築様式が発展しました。特に、タブリーズを拠点としたイル・ハン宮廷では、細密画や絨毯織り、陶器などの制作が盛んとなり、その多くが後のイスラム芸術の発展に影響を与えました。また、この期間に詩人や歴史家が多く登用され、イル・ハン国文学が大いに栄えました。こうした文化的開花により、イル・ハン国はモンゴル帝国分裂後もイスラーム世界の重要な一翼を担い続けることができたのです。

イル・ハン国とイスラム世界への影響

イスラム国家としての政治的な役割

イル・ハン国は、モンゴル帝国の分裂後、西アジアにおける一大勢力として君臨しました。その成立当初はモンゴル的な支配体制が中心でしたが、13世紀末にガザン・ハンがイスラムに改宗したことで、イル・ハン国はイスラム国家としての性格を鮮明にしました。こうして、彼らはアフガニスタンやイランなどの広域を支配し、イスラーム世界の安定に寄与しました。

 

特に、ガザン・ハンの治世では、イスラム法の採用や学術支援を通じて、イスラム文化のさらなる発展が図られました。また、バグダードを失った後のアッバース朝の旧支配領域において、新たなイスラム文化の中心地としてタブリーズを育成しました。このように、イル・ハン国はモンゴル帝国の影響を引き継ぎつつも、新たなイスラム国家として政治的役割を担いました。

近隣諸国家との関係と外交政策

イル・ハン国の地政学的な位置は、近隣諸国家との緊張関係を生みました。特に、エジプトのマムルーク朝との対立は深刻で、これにはフラグ・ウルス成立以前のモンゴル遠征が影響を及ぼしました。アインジャールートの戦いでモンゴル軍が敗北した後も、両国間の衝突は続きました。

また、チャガタイ・ハン国や南部の支配者たちとも衝突が起きることがありました。しかし一方で、イル・ハン国は交易を基軸とした外交を進め、シルクロードを中心にした国際交易ネットワークを積極的に促進しました。この外交政策により、イランやアフガニスタンからヨーロッパに至るまで、経済的な繁栄をもたらしました。

モンゴル帝国後のイスラム社会への遺産

イル・ハン国が果たした最も重要な役割の一つは、モンゴル帝国時代の文化的遺産を引き継ぎ、イスラーム社会の中で昇華させた点にあります。イランでは、モンゴル様式とイスラム様式が融合した独特の建築や芸術が発展し、後世に大きな影響を与えました。

 

加えて、イル・ハン国の支配期間における交易網の整備は、モンゴル帝国の分裂後もイスラーム社会の内外をつなぐ重要な役割を果たしました。特にイラン高原が支えた学術的繁栄は、北方遊牧民とイラン・イスラーム文化が融合した結果として、学術や医学の分野でも広範な成果を生み出しました。

イル・ハン国の衰退と後継国家の誕生

イル・ハン国は、14世紀半ばに入ると急速に衰退します。経済的には、交易路の変化や内政の混乱が響きました。一方で、モンゴル系支配者たちの連携が崩れ、分裂が深刻化しました。このような背景の中、イル・ハン国は1335年に最後の君主であるアブー・サイードの死をもって事実上崩壊しました。

その後、イラン一帯ではそれぞれの地域で新たな支配者が台頭し、ティムール朝やサファヴィー朝といった後継的なイスラーム国家が成立しました。これらの国家は、イル・ハン国が残した文化的・政治的基盤を引き継ぎながら、新たな時代のイスラーム世界を築くこととなりました。