アユブ・ハーンは、19世紀後半のアフガニスタンにおける著名な軍人・政治家であり、特に第二次アングロ・アフガン戦争における活躍で知られています。彼はアフガニスタンのアミール(君主)シャー・アリー・ハーンの息子として生まれ、1879年に兄のヤアクーブ・ハーンが退位すると、王位継承を巡る混乱の中で頭角を現しました。特に有名なのは、1880年に起こったマイワンドの戦いでの勝利で、彼はイギリス・インド軍に対して歴史的な勝利を収め、アフガン民族の英雄と称えられました。
アユブ・ハーンは1907年2月16日に日本を訪問しました。この訪問は、日露戦争での日本の勝利を受けて、アジア諸国が欧州列強に対抗する象徴的な出来事として位置づけられています。アユブ・ハーンは、東郷平八郎元帥の名誉賓客として招かれ、アジアの勝利を祝う式典に参加しました。
この訪問は、アフガニスタンと日本の外交関係の初期の接触の一つとされており、正式な国交樹立は1931年ですが、1907年のアユブ・ハーンの訪問がその前段階として重要な意味を持っています。彼の訪問は、アジア諸国が欧州の帝国主義に対抗する連帯の象徴ともなりました。
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