バルフ

アフガニスタン北部に位置するバルフは、かつて「バクトラ」として知られ、古代における交易と文化の要衝でした。この地は肥沃な平野が広がり、アムダリヤ川(古代名オクサス川)にも近く、古代から農業と都市文明が栄えた地域として知られています。バルフはオクサス文明、またの名をバクトリア=マルギアナ複合(BMAC)と呼ばれる青銅器時代の文化と深く関係しており、この文明は紀元前2300年頃から1800年頃にかけて中央アジア一帯で栄えました。
 
オクサス文明の中心地は現在のトルクメニスタン南部やウズベキスタンにあたる地域にありますが、その影響はアフガニスタン北部、すなわちバルフ周辺にも及んでいたと考えられています。考古学的な遺跡からは、都市計画に基づいた建築や高度な工芸技術の存在が明らかになっており、これらはバルフが単なる地方都市ではなく、広域にわたる文化的ネットワークの一端を担っていたことを示しています。こうした背景から、バルフはオクサス文明の周縁的な領域でありながら、その発展と交流において重要な役割を果たしていたと評価されています。

 

また、バルフは、古代より商業と学問の中心として栄え、「東方の母」と称されるほど繁栄した都市でした。しかし13世紀初頭、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍の西征によってこの栄華は終焉を迎えます。モンゴル軍はホラズム・シャー朝を滅ぼす過程でバルフを攻撃し、激しい戦闘の末に都市は徹底的に破壊されました。多くの住民が殺害され、壮麗なモスクや宮殿、学問の館も灰燼に帰しました。この惨禍により、バルフは急速に衰退し、かつての文化的・経済的中心地としての地位を失っていきました。
 

現在でも、破壊された城壁の跡が残り当時の栄華がしのばれます。