ジョチ・ウルスは、13世紀初頭にモンゴル帝国の創設者チンギス・ハンの長男ジョチの家系によって支配された政権であり、後に「キプチャク・ハン国」や「黄金のホルド」とも呼ばれるようになります。この政権は、チンギス・ハンの死後、帝国の分割にともなってジョチ家に与えられた広大な領土を基盤として成立し、現在のカザフスタン、ロシア南部、ウクライナ、さらに一部の東ヨーロッパ地域にまで広がる広大な草原地帯を支配下に置いていました。
ジョチ・ウルスは遊牧的要素と征服国家としての性格を併せ持ち、13世紀から14世紀にかけて東ヨーロッパやロシア地域に対して大きな影響力を及ぼしました。特にロシアの諸公国に対しては「タタールのくびき」とも呼ばれる間接的な支配を行い、年貢を課して莫大な財源を確保する一方で、内政にはある程度の自治を認めるという巧妙な支配体制を築きました。
政権内部では遊牧民の伝統とイスラーム文化が融合し、14世紀にはイスラーム教が支配層に広まり、文化や経済の発展にも寄与しました。しかし、広大な領土と複雑な民族構成、後継者争いなどの要因から、14世紀末以降は分裂が進み、やがて複数の小政権に分かれていきます。その中からはクリミア・ハン国やカザフ・ハン国、ウズベク・ハン国などが登場し、それぞれ独自の歴史を歩んでいくことになります。
ジョチ・ウルスは単なる一政権にとどまらず、ユーラシアの歴史においてモンゴル帝国の遺産を引き継ぎ、後の中央アジアや東欧世界の政治的・文化的枠組みに大きな影響を与えた存在であるといえます。
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