ミハイル・ゴルバチョフ

ミハイル・ゴルバチョフは、ソビエト連邦最後の最高指導者として知られ、1985年に共産党書記長に就任してから1991年にソ連が崩壊するまでの間に、国内外における大きな変革を主導しました。1931年にロシア南部のスタヴロポリ地方で生まれ、労働者家庭の出身であった彼は、モスクワ大学で法律を学び、若くして共産党の中で頭角を現しました。書記長に就任した当初、彼は経済の停滞や社会の硬直化に危機感を抱き、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)というスローガンのもと、ソ連の社会主義体制を内側から改革しようとしました。

 

彼の経済改革は、市場原理の一部導入や企業の自律性向上を目指したものでしたが、旧来の統制経済との折り合いが難しく、混乱を招くこととなりました。一方で、政治面では言論の自由を広げ、長年タブーとされてきた歴史の再評価を許すなど、国民に開かれた政府を志向しました。外交においては、米国のレーガン大統領との度重なる会談によって冷戦の終結を導き、1987年には中距離核戦力(INF)全廃条約を締結し、軍拡競争の流れに終止符を打ちました。また、東欧諸国の民主化を黙認したことで、ベルリンの壁の崩壊や東欧社会主義政権の連鎖的な瓦解をもたらし、最終的には1991年にソ連そのものが解体される結果となります。

 

ゴルバチョフはノーベル平和賞を受賞するなど国際的には高く評価されましたが、ソ連国内では国力の低下や経済の混乱を招いたとして批判も多く、指導者としての評価は国内外で分かれています。それでも、彼がもたらした開放と対話の精神は、20世紀末の世界秩序に大きな転換をもたらした歴史的な功績として語り継がれています。