北部同盟(正式名称:アフガニスタン・イスラム統一戦線)は、1996年にイスラム主義勢力タリバンがアフガニスタンの大部分を制圧したのに対抗して結成された反タリバン連合であり、民族的にも政治的にも多様な勢力によって構成されていました。その中心を担ったのはパンジシール渓谷を拠点とするタジク系の武装勢力で、指導者アフマド・シャー・マスードのもと、旧政府軍の残存勢力や、イスラム主義ながらタリバンとは対立する諸派が結集しました。また、ウズベク系の軍閥アブドゥル・ラシド・ドスタムの勢力や、ハザラ人を主体とするシーア派の武装組織「ヒズベ・ワフダト(統一党)」も加わっており、パシュトゥン人が多数派を占めるタリバンとは異なり、北部同盟は少数民族を基盤とした多民族連合という性格を持っていました。
北部同盟の規模は時期によって変動したものの、最盛期には数万人規模の戦闘員を擁し、タジキスタンやイラン、ロシアなどの支援を受けてアフガニスタン北部や北東部の一部地域を実効支配していました。彼らの主義主張は一枚岩ではなかったものの、共通していたのは、過激な宗教的原理主義に基づくタリバンの支配体制への反対と、ある程度の民族的多元主義や政教分離への志向であった。2001年の米国主導による対タリバン攻勢に際しては、北部同盟は主要な地上戦力として連携し、タリバン政権の崩壊に大きな役割を果たしました。その後、北部同盟の指導者たちはアフガニスタン暫定政権や新政府に参画し、政治的影響力を保持し続けることとなりました。
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