パルティア地方は、古代イラン北東部に位置していた地域で、現在のイラン北東部からトルクメニスタンにかけての一帯に相当します。この地は古くから交通の要衝であり、東西交易の中継地として栄えました。紀元前3世紀ごろ、この地に居住していたイラン系遊牧民のパルニ族がセレウコス朝の支配から独立し、アルサケス1世によってパルティア王国が建国されました。以後、この王国は「アルサケス朝」とも呼ばれ、約500年にわたって西アジアの大国として繁栄します。
パルティアはヘレニズム文化とイラン伝統文化の融合が進んだ地域であり、建築や美術、政治制度などにもその特徴が見られます。特にローマ帝国との対立が頻繁に起こり、東西の勢力が拮抗する中で独自の文化と政治体制を維持し続けました。また、シルクロードの一部として交易活動も盛んであり、中国やインドとの関係も築かれていました。
3世紀になると内紛や外敵の侵攻により衰退し、最終的にはサーサーン朝によって滅ぼされますが、その影響力は後のイラン文化や中東世界に深く根付いており、歴史上非常に重要な地域とされています。
|
|