目次
ヌーリスタン人の歴史と起源
ヌーリスタン人の起源説
ヌーリスタン人の起源には諸説ありますが、いずれも説得力に欠けたり矛盾を含有しており、未だに解明されていません・現在、ヌーリスタン人の起源とする主な仮説は次の通りです。
マケドニア王アレクサンダー大王の軍隊の子孫説
紀元前4世紀、古代ギリシャ王国マケドニアの王アレクサンダー大王がこの地域に遠征した際、一部の兵士や彼らが連れてきた人々が住み着き現在のヌーリスタン人の祖先であるとする説です。アフガニスタンに住む現在のヌーリスタン人の特異な特徴や文化が、そのルーツに古代ギリシャの影響があったことを示唆しているといわれています。
一方、アレクサンダー大王の遠征時には、既にヌーリスタン人は存在していたとも言われており、遡ること年ほど前から居住していたとも言われています。
古代インド人の子孫説
10世紀頃、イスラム教への改宗を拒否したアフガニスタンの古代インド人の部族が現在のヌーリスタン地域に逃れ、そのに既に定住していた他の民族を追い払い自ら定住したか、もしくは融合・同化したとする説です。
古代インド・アーリア人原住民の子孫説
移住してきたのでは無く、この地域の元々の住民の残存者であるとする説です。一方で、中央ヒマラヤの古い住民プレシュン人、北欧人の要素も含んでおり、それらが融合したことも考えられます。
印欧祖語諸族移動説
紀元前3500年頃に起きた寒冷化という気候の大変動に伴い、ウクライナのステップ地帯に住んでいた印欧祖語の諸族が2000年紀頃までに南方へ移動し、その一部がアフガニスタンのヌーリスタン地方に住み着いたもので、居住地の環境が他の民族との同化を防いだとする説です。
この印欧祖語諸族の移動は南はインド、西は中国にまで及んだと言われており十分にあり得ることと思われます。現在、金髪碧眼の人種はフィンランドのパーサからスウェーデンのウーメオを中心とする地域が最も多く人口比率は80%にも達しますが、距離が離れるごとに少なくなりギリシャでは20%程度になります。このことからも、ヌーリスタン人はアレクサンダー大王の軍隊の子孫と考えるのは無理があり、さらに子孫を維持するためには妊娠適齢期の女性の同行も必要になります。
イスラム化と文化の変遷
ヌーリスタン地域は、かつて「カフィリスタン」と呼ばれていました。これは、住民がイスラム教に改宗する前の差別的名称で、ここに住んでいた人々は非ムスリム(異教徒、不信仰者)を意味する「カフィール」と呼ばれていました。
19世紀末、アフガニスタン王アブドゥッラーマーン・ハーンはこの地域の人々に対して強制的にイスラム教への改宗を進めました。この政策により、多くの住民が原始的ヒンドウ教徒からイスラム教徒となり、地域の名前も「ヌーリスタン」(光の地)と改められました。この強制改宗によって、ヌーリスタン人の文化と社会は大きな変遷を遂げました。
なお、パキスタンのカラーシャ族は強制的なイスラムへの改宗を受け入れなかったヌーリスタン人と言われていますが、現在では宗教、言語及び伝統・文化の違いから別な民族として扱われます。
イスラム化の後も、ヌーリスタン人は独自の文化を維持しつつも、イスラム教との融合した習慣も持ち続けています。例えば、彼らの祝祭や儀礼は古代からの伝統とイスラム教の影響が混在しています。ヌーリスタン人の歴史と起源を理解することで、彼らのユニークな文化の背景を深く知ることができるのです。
地理的特徴と生活環境
アフガニスタン北東部の地理的概要
ヌーリスタン人はアフガニスタンの北東部に位置するヌーリスタン州及びパキスタンの北西辺境州のチトラル地区に住む少数民族です。総人口は、125,000~300,000人と言われています。
ヌーリスタン人の住む地域はヒンドゥクッシュ山脈の4,000m級の山々が連なる険しい山岳地帯です。ヌーリスタン州の地理的特徴は、その高い山々や深い谷、小川の流れる風景が挙げられます。これらの地形は、ヌーリスタン人の生活に大きな影響を与えており、伝統的な生活スタイルや住居の構造に反映されています。
自然環境とその影響
ヌーリスタン州の厳しい気候は、その険しい地形と相まって雪崩などの自然災害が発生します。また、自然環境はヌーリスタン人の古くからの生活に深く根付いており、現在でも多くのヌーリスタン人の文化に影響を及ぼしています。
山岳地帯の厳しい環境は、彼らが耐久力と適応力を持つようにし、自然と共生する生活スタイルを育んできました。ヌーリスタン人は農耕や牧畜を主な生計手段とし、山羊や羊などの家畜を飼育しています。また、木材や石材を用いた伝統的な建築技術が生き残っており、これらの技術は彼らの文化の重要な一部となっています。
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