古代史⓭;突厥の興亡とその影響ーエフタル滅亡後のアフガニスタンー

突厥台頭の背景とエフタルの滅亡

突厥台頭の歴史的背景

Map of the First Turkic Kaghanate, CC BY-SA 4.0
初期の突厥の勢力範囲

突厥は元々はジュンガル盆地からトルファン北方に住んでいたチュルク系部族で柔然に隷属していたが、552年に柔然を討ち破り独立し、勢力を拡大しました。これにより、突厥は中央アジアにおける一大勢力となり、「可汗」(カガン)としての地位を確立しました。突厥の台頭は、北方の遊牧民族の中での大きな変革を象徴しており、特にトルコ系民族の歴史において重要な位置を占めます。突厥の支配域は広範で、西はカスピ海から東は中国の北部にまで及んでいました。

 

突厥の興亡の背景には、中央アジアの地理的特性が大きく影響しています。この地域は乾燥した草原地帯が広がり、遊牧生活が主体とされる環境であったため、騎馬民族の勢力が強く、その移動と戦略の自由度が高いものでした。また、突厥は中央アジアを横断する交易路であるシルクロードの支配を巡って他の勢力とも競い合うことになり、その過程で経済的に重要な位置を占めるようになりました。

エフタルの勢力拡大とその崩壊

エフタルは4世紀後半から6世紀後半にかけて、イラン、インド、西アジア、中央アジアに広範な影響力を持っていました。特にヒンドゥークシュ山脈北麓のクンドゥース地方を中心に勢力を拡大し、一時はササン朝ペルシア軍を打ち破るほどの力を持っていました。484年には「落とし穴作戦」でペーローズ1世を含む多くのペルシア兵を打ち敗ったことが、その絶頂期を象徴しています。

 

しかし、エフタルの勢力は6世紀後半に突如崩壊します。この崩壊の一因は、突厥とササン朝ペルシアの同盟による挟撃作戦にありました。両者の連携により、エフタルは決定的な打撃を受け、領土を失いました。これにより、エフタル滅亡後、支配地域は突厥とササン朝ペルシアによって再編成され、特にアフガニスタン地域は突厥の影響下に置かれることとなりました。

 

エフタルの滅亡後、アフガニスタン地域には新たな支配者として突厥が登場しました。この時期における突厥の興亡は、後世に大きな影響を及ぼし、アフガニスタンや中央アジア全体の歴史的な変遷に重要な役割を果たします。

突厥とササン朝ペルシアの連携

突厥とササン朝ペルシアの同盟形成

GokturkWarrior, CC BY-SA 4.0
突厥時代の戦士像

突厥とササン朝ペルシアが同盟を組んだ背景には、共通の敵エフタルが存在していました。エフタルは衰退の前に中央アジアで広範な勢力を誇り、その圧力に対抗するために突厥とササン朝ペルシアは手を組むことになりました。ササン朝は484年にエフタルとの「落とし穴作戦」で国王ペーローズ1世を失うなど、度重なる敗北を経験していました。このため、ササン朝ペルシアは突厥との協力を渇望していたのです。一方、突厥も自身の勢力拡大のため、強力な同盟者を必要としていました。こうして、二大勢力の協力関係が形成され、エフタルの撃退が実現可能になりました。

エフタル挟撃作戦とその結果

突厥とササン朝ペルシアの同盟が成立した後、両者はエフタルに対して挟撃作戦を展開しました。この作戦は、双方から同時にエフタルを攻め立てることで、その勢力を分散させるというものです。突厥軍は北から、ササン朝軍は南から攻撃を仕掛け、エフタルの軍勢を制圧していきました。最終的に、エフタルは挟撃に耐えられず、崩壊しました。この結果、エフタル滅亡後のアフガニスタンには突厥の支配が及び、突厥は新たな支配者として台頭しました。この時期、中央アジアにおいて突厥の興亡が始まり、新しい歴史が刻まれることとなります。

アフガニスタンにおける突厥の支配

突厥支配下のアフガニスタンの統治体制

突厥の支配下に入ったアフガニスタンでは、統治体制が大きく変わりました。エフタルの滅亡後、突厥は強力な中央集権的な支配を目指し、地方においても直接的な統治を行いました。突厥は自らの支配者階級を派遣することによって、現地の豪族や貴族を抑えつつ、税収を確保しました。これによって、中央アジアの他の地域と同様に、アフガニスタンでもササン朝ペルシアとの連携が強化され、経済的・軍事的な安定が確保されました。

地域社会への影響と変化

突厥の支配によって、アフガニスタンの地域社会は大きな変化を経験しました。まず、突厥の興亡を背景に、新たな文化や技術がこの地に導入されています。特に、突厥とササン朝ペルシアとの連携によって、中央アジア全体で商業活動が活発になり、アフガニスタンの経済も大いに繁栄しました。その一方で、突厥の支配がもたらす軍事的なプレッシャーや、課税体制の強化も地域社会に影響を及ぼしました。

 

また、突厥による統治はアフガニスタンの地方社会にも変革をもたらしました。現地の伝統的な慣習や宗教風習が部分的に残されながらも、突厥の文化や信仰が融合することで、新しい文化的アイデンティティが形成されていきました。このように、突厥の支配下におけるアフガニスタンは、他の中央アジア地域とともに歴史的に重要な変化を遂げたのです。

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