現代史❷;ザーヒル・シャー政権の近代化政策と中立政策の影響

第二次世界大戦中の中立政策の背景と選択

ムハンマド・ザーヒル・シャーの台頭と近代化

 アマーヌッラーに対する反乱が起きるとアフガニスタン・バーラクザイ朝王家ムハンマドザイ家の分枝であるムサーヒバーン家のムハンマド・ナーディル・シャーが反乱を鎮圧し、1929年10月15日アフガニスタンの国王(アミール)を宣言しました。そして、1930年9月に開催されたロヤ・ジルガにおいて彼の国王としての称号が承認されました。

 

1963年当時のザーヒル・シャー国王

 1933年11月にムハンマド・ナーディル・シャーが暗殺されると息子のムハンマド・ザーヒル・シャーが王位を継承し、彼の治世のもとでアフガニスタンはさらなる近代化と安定を追求しました。ムハンマド・ザーヒル・シャーは国家の中立政策を重視し、特に第二次世界大戦が勃発した際には、外交的な中立姿勢を堅持する方針を示しました。また、この時期にはインフラ整備や教育の推進が続けられ、中央政府の権威を強化する改革が進められました。こうした近代化政策はその後、アフガニスタンの国内安定と国際社会との関係強化に重要な効果をもたらしました。

ムハンマド・ザーヒル・シャー政権の外交政策の特徴

 第二次世界大戦中、アフガニスタンはムハンマド・ザーヒル・シャー国王の下で中立政策を採用しました。この外交政策は、国際社会での複雑な勢力争いを避けつつ、自国の領土と主権を守ることを目的としていました。アフガニスタン政府は、枢軸国と連合国との間に挟まれた立場にありながらも、いかなる戦争行為にも加担せず、全ての勢力への公平な立場を貫くことを基本としました。

枢軸国と連合国の圧力をどう回避したか

 アフガニスタンはその地理的条件により、枢軸国と連合国の双方から戦略的拠点として注目されました。しかし、政府は外交の知恵を活用し、どちらにも偏らない姿勢を示しました。連合国側からトルコやイランなど近隣諸国を通じて協力を求められる一方、枢軸国側からも利権や通商に基づくプレッシャーを受ける状況でした。これに対してアフガニスタンは、第三国を通じた交渉や貿易ルートの調整を行い、圧力を最小限に抑えました。また、国内で一切の外部勢力の軍事的な関与を禁止することで、戦場となることを避けることに成功しました。

中立を維持する上での課題と成功要因

 中立を維持することは容易ではありませんでした。外部勢力からの圧力や、国内での経済的安定の確保といった課題に対処する必要がありました。加えて、内外の緊張が高まる中での国民の支持を得ることも重要でした。しかし、ムハンマド・ザーヒル・シャー政権が中立の姿勢を明確にし、外交上の巧妙なバランス維持を図ることで、安定した環境を作り上げました。特に、経済依存を減らしながら自国の経済基盤を維持する努力が中立政策の成功を支えた要因となりました。

近隣諸国との関係変化と中立政策の影響

 第二次世界大戦中、アフガニスタンは近隣諸国との関係にも細心の注意を払いました。当時、イランやトルコといった国々も戦争の影響を受ける中、それぞれの国との外交を通じて平和的な関係を構築することに重点を置きました。さらに、イギリス領インドとの関係も冷静に管理され、混乱を引き起こさない形での協力が続けられました。これにより、近隣諸国がアフガニスタンの中立政策を尊重する環境が整い、同国が戦場化するリスクを下げることに成功しました。

国内政治の安定化が果たした重要な役割

 中立政策が効果を発揮するためには、国内政治の安定が不可欠でした。ムハンマド・ザーヒル・シャー政権下のアフガニスタンは、国家の一体性を保つために各民族や部族との連携を重視しました。特に、王政による指導力は各地域における対立や混乱を抑える役割を果たしました。内政の安定は中立政策の基盤となり、外部からの干渉を受けずに政策を持続的に実行する土壌を作り出しました。このような国内統治の成功が、アフガニスタンの第二次世界大戦期における平和維持への貢献につながりました。

第二次世界大戦後のアフガニスタンと中立政策の継続

戦後の大国間競争とアフガニスタンの位置付け

 第二次世界大戦後、世界は冷戦時代に入り、ソビエト連邦とアメリカ合衆国を中心とした東西陣営間の大国間競争が激化しました。この中でアフガニスタンは、地政学的に重要な位置を占めていました。中央アジアの戦略的要衝であり、「戦場」として巻き込まれかねない状況にありましたが、中立政策を掲げることで直接的な衝突を避けました。戦争の影響を最小限に抑え平和を維持したことは、この政策の効果を示しています。

冷戦時代における中立政策の維持

 冷戦時代、アフガニスタンは中立政策を貫くことで、大国間の代理戦争の舞台となることを回避しました。特にソ連とアメリカの圧力に対し、双方とバランスの取れた外交を展開しました。ソ連から経済的援助を受ける一方で、西側諸国との関係も維持し、あくまで特定の陣営に肩入れすることを避けたのです。この柔軟な外交姿勢は、冷戦時代を通じて国内の安定を保つ大きな要因となりました。

国際社会との関係構築と経済発展の模索

 アフガニスタンは中立政策を掲げる中で、国際社会との関係構築にも力を入れました。国連に加盟し、多国間の交渉の場を活用することで、経済的援助を取り付け、近代化と社会的発展を図りました。また、農業やインフラの開発などを進め、経済基盤の確立に努力しました。ただし地理的・歴史的な制約から、急進的な発展は望めなかったものの、平和的な環境を維持する上でこれらの政策は効果的でした。

中立国として得た国際的評価

 第二次世界大戦後、アフガニスタンが中立政策を維持し続けたことは、国際社会から一定の評価を受けました。特定の陣営に加担せず独自路線を貫くその姿勢は、戦争や内政干渉による混乱を避けたい他国にとっても一つの手本となりました。中立政策を通じて築かれた信頼は、国際的に平和的な国としてのイメージを強化する要因となりました。

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